天女と弁天神社

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天女と弁天神社

JR弁天島駅の向かい側、斜めに舞阪方面へ曲がる三叉路の角に
弁天神社があります。

白砂青松の地、弁天島は今のように橋で結ばれておらず、渡船
によって新居と結ばれていました。宝永6年(1709)その渡し
舟の安全を祈願して建てられた神社です。

境内には天女の松があります。またその故事を伝える説明板も
あります。

天女と弁天神社


弁天島と天女

昔、弁天島のこの辺りは砂州が新居の橋本辺りまで続き、白
砂青松「天の橋立」のような景色が広がっていました。そん
な弁天島の美しさに誘われてか、ある日天女が舞い降りまし
た。

村人は大変喜び、社を建てるからここに留まってほしいとお
願いしました。ところがどういうわけか天女は駿河の三保の
松原へ立ち去って行きました。

それから長い年月がたち、この辺り一帯は大きな災害にみま
われ、洲崎の一部であった弁天は湖に取り残されて島となり
ました。

その後、舞阪と新居の間は渡船で行き来するようになりまし
たが江戸時代の宝永6年、今切渡海安全のためにこの島に弁天
神社が建てられました。

人々は天女伝説のこともあり、この神社を大切にお守りして
きました。

御祭神は「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」といい
海上・交通・家内安全、商売繁盛など請願成就の神として多
くの人々に信仰されています。

また、子宝、縁結びの神としてもご利益があるとして人々を
集めています。

弁天島の歴史のひとつ、弁天神社にお参りください。



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