舞阪宿は東海道が海に突き当たる

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舞阪宿は東海道が海に突き当たる

東海道を旅する。江戸時代の東海道はお江戸日本橋を基点に
五十三次を旅をして行きますが、現在の南浜名湖 舞阪は江戸
からちょうど三十番目となります。

東海道を歩いてきた旅人は舞阪宿で海に突き当たる、というこ
とをご存知でしょうか。

残されている古い絵図には東海道舞阪宿の様子が描かれてい
ますが(舞阪郷土資料館展示図)、まさに東海道は海に突き当
たって止まる。

この先は新居関所がある新居宿へ海上一里半の船旅をなって
います。

舞阪宿は東海道が海に突き当たる

その様子を舞阪郷土資料館ではジオラマ模型を使って紹介して
くれています。
東海道(JR舞阪駅南口近くからの松並木~舞阪往還通り)の両
側に続く舞阪宿の家並みは海につきあたり途切れています。

そこには海を渡る渡し場「雁木(がんげ)」が三箇所あり、中央は
武士が、南(写真の下側)は荷物用、北の雁木は現在も舞阪港
北側に「北雁木(きたがんげ)」として残されています。

現在はさらに北側の弁天島、新弁天を橋で渡りながら国道が通
り、浜名湖が海に繋がる今切口の上を国道一号線浜名バイパス
の浜名大橋が架かっています。

江戸時代は舞阪宿から海上一里の旅をして次の三十一番目の
宿新居宿へと渡っていったのです。

※資料:舞阪郷土資料館



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