舞阪大太鼓祭り、仲町太鼓締め

カテゴリー │舞阪大太鼓祭り2011



舞阪に秋を告げる男たちの祭り、大太鼓祭り・岐佐神社祭典が
近づいています。
祭典は旧例9月14日15日とされ、今年は10月10日11日に開催と
なります。

今日の午後、静岡銀行舞阪支店駐車場で舞阪仲町の大太鼓締め
が行われていました。



この日、仲町青年が締めたのは直径2.1メートルもの中太鼓(中
学生などが叩く)、さらに大太鼓は岐佐神社の鳥居をギリギリ
通る大きさ2.4メートルほどもあるそうです。



舞阪の大太鼓は樽で出来ています。これほどの大きさの樽を作
り、タガを締めてつくる職人はなかなかいないと聞いています。
その大樽にこれほどの縄をかけて締めていきます。



子供の頃から大太鼓を目指した青年たち、太鼓締めが終われば
自然に笛が始まります。
そして大太鼓に挑んでゆくのです。



大太鼓をバットほどもある撥で叩けばその音は「爆発音」に近
くなります。体ごとぶつかって行く青年たちの心意気が舞阪に
響きます。

今年は仲町が舞阪四町の年番町、次回は大太鼓締めと進む祭り
の準備に大いに意気あがる仲町青年でした。



 

舞阪大太鼓祭りを学ぶ

カテゴリー │舞阪大太鼓祭り2011



今年の初夏、「舞阪」のことを知りたくて潮干狩りの弁天島遊船
組合のみなさんに相談すると、「郷土資料館」へ行くことと資料
について教えていただいた。

舞阪町史資料は間瀬遊船組合長から、写真の大太鼓祭り資料は組
合員の渡辺正一さんに貸していただいた。
今年のお祭りに臨むにあたり、その心を知りたいと再読をしてい
ます。

舞阪の大太鼓祭り(岐佐神社祭典)は旧暦の9月14日15日に開催
されます。今年は10月の10日(月祝)と11日(火)となります。



また、さまざまな地元情報を教えていただく「なみこぞう」さん
を通じて、地元歴史家の鈴木五十廣氏から、丁寧なる見所などを
教えていただいています。

鈴木氏の教えの一部を紹介します。

「海に生きる男たちの魂を揺さぶる祭り」

 漁業が盛んな舞阪の大太鼓祭りは、町内の安全と海上安全、豊
漁を祈願して、毎年旧暦9月14・15日の両日、岐佐神社の例祭の余
興として行われます。
 祭典は神輿の渡御に伴い、年番町の太鼓を先導役に大小8台の太
鼓、女子の手踊りが町内へ繰り出し、道中をにぎやかに練り歩き
ます。
江戸時代、舞阪は東海道五十三次の宿場町でもあったことから、
大名行列に由来しているともいわれます。祭典の進行は伝統とし
きたりを重んじ、現在に受け継がれているのも特色の一つです。」

いよいよ神事がはじまり月曜からとなる祭り、今年はさまざまを
見せていただき、舞阪の心を知ろうと思います。

舞阪のみなさん、よろしくお願いいたします。


 

舞阪大太鼓祭り 幟立て 敬愛青年

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南浜名湖あそび隊として、初めて舞阪の祭り、「舞阪大太鼓祭り
(岐佐神社祭典)」に臨むのだから初めから見てみたい。

祭りは旧暦の9月14日15日に開催されます。今年は10月の10日
(月祝)と11日(火)、まず教えていただいたのは9日の「幟立
て」でした。

それも8日の深夜、9日になった0:00過ぎからはじまるのです。

舞阪港の入口の角に公民館を持つ「西町」は往還通り(旧東海道)
の角から少し東へ戻ったところ(本陣跡あたり)に幟を立てます。
23:30頃に行くと、青年たちが幟を守っていました。



祭りに参加するのは砂町、西町、仲町、新町の4町、西町は「敬愛
青年」という組織となります。暗い道に提灯を置いて幟を守ります。



0時を回り、9日となれば青年たちが高いたかい幟を立てはじめます。
あらかじめ幟を立てる座が備えられ、持ち上げる青年たち、綱を曳
く青年たちが力を合わせる瞬間です。



ベテランの方でしょうか、見事な「木遣り」の音頭で綱を曳き、一
気に幟が持ち上がります。
幟の柱はゆうに二階の屋根を越え、三階四階にも及ぶ高さ、先端に
は松がつけられています。



幟の柱と座の根元には菰が巻かれていきます。
「砂が入らないようにしろよ」と注意をして巻かれていきます。
この後、幟の根元はしっかりと囲われます。

祭りはじまる。深夜の舞阪往還通り(旧東海道)と各町はいよいよ
今朝からの祭りの準備が始まります。



 

舞阪大太鼓祭り 幟の往還通りを行く

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明日からの舞阪大太鼓祭りの準備はじまる舞阪は、祭り前の気分
に上気した空気がみなぎっています。

今日となった時間に立てられた幟を旧東海道から見に行ってきま
した。

JR舞阪駅の南側、今も旧き東海道の風情を残す松並木が残ってい
ます。これを下っていきます。(車で下ると途中で直進できず
現在の東海道に曲がります)



現在の東海道(旧国一)を下れば、松並木から斜めに交差して
伸びる旧東海道が分岐します。
この先に今も残る舞阪宿の入口の後(石垣)があります。



往還通りの入口あたりが「新町」、ここに「岐佐神社」の幟があ
がっています。
ここは往還通り、かつて大名行列も旅する人も行き来した東海道
その道そのものです。



家々の前には町内のみなさんが早朝から立てた林立する笹が続き
ます。この笹にこの後、縄がかけられていきます。
かつての街道を思わせる広くはない道が、さらに笹で狭くなるこ
とが、また祭りはじまるを思わせてくれます。



今朝立てるのを見せていただいた西町(敬愛青年)の幟が立って
います。
深夜にもかかわらず、祭りの日を待ちきれずに立てるという心意気
がはためいています。



幟の脚元が仕上げられていました。
菰を巻いた外に板を回し、その中に砂が詰められています。
しっかりとした土台に四階建ての高さにも及ぶ高いたかい幟はため
く祭りのはじまり。

今日は一日祭りの準備が進めてゆくようです。



 

舞阪大太鼓祭り 仲町朝日青年の準備

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明日10日(月祝)は宵宮、明後日11日(火)は本祭りとなる南浜
名湖舞阪の町は大太鼓祭りの準備が進んでいます。

弁天島からも見える舞阪港の船には大漁旗が掲げられています。
正月とこの祭りに海の男たちはめでたい旗を掲げて祝いうのも舞
阪の風物詩です。



舞阪往還通りの中ほど、仲町の青年たち「朝日青年」が幟へ大注
連縄と傘と呼ばれる連提灯をあげています。
舞阪四町の青年団は西町が「敬愛青年」、仲町が「朝日青年」、
砂町が「愛国青年」、新町が「新青年」と呼ばれています。
太鼓を叩く祭りの花形たちの呼び名です。



まっすぐに美しく揚げることも青年たちの心意気、手間をかけ仲
間と作り上げる祭り準備が明日からの太鼓への心を決めていきま
す。
子供の頃から兄弟のようにして育つのが舞阪の青年たち、幟立て
やさまざまな表側の仕事を担当しています。



町の幟は町の象徴です。高い幟柱に取り付けられた滑車から伸び
た綱を曳き、真っ直ぐに美しく、こだわりながら掲げた幟を町内
のみなさんが誇らしく見上げています。

青年たちは休みなく働き、明日からの祭りに向かうのです。



岐佐神社の三つの鳥居いっぱいの幅に作られた太鼓台が引き出さ
れていました。命の太鼓を守る太鼓番が厳しい目で監視をしてい
ました。



手踊りとお囃子で盛り上がる明日の音が聴こえてきそうな仲町の
祭り小屋、漁師さんが大鯛を持っていきます。酒が運ばれて来ま
す。会所には大勢の人が集まり、明日への期待の笑い声が聞こえ
てきます。

この後、岐佐神社に向かいました。



 

舞阪大太鼓祭り 岐佐神社はどこに

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明日10日(宵宮)、11日(本祭り)となる舞阪の大太鼓祭りは
岐佐(きさ)神社の祭典です。

さてこの神社はどこにあるでしょう。歩いてみました。

JR弁天島駅から舞阪港入口まで徒歩15分ほど、舞阪港入の角に
は西町の会所があります。そこからすぐ南に天丼や舞阪のうま
いもが食べられる「魚あら(写真の右)」があります。

そこに立つのが砂町の幟です。



魚あらの前を南へ、この幟をくぐった先の左側に「蒲焼つるや」
があります。地元漁師さんも勧めるおいしい鰻屋さんです。
これを左に曲がります。



つる屋さんを左に見ながらこの道を進めばこの先に岐佐神社が
あります。舞阪往還通りの一本右側の一方通行の道路です。



途中左折路がありますがその右側に舞阪港の中卸「丸小水産」
の小売店があります。舞阪のうまい魚が安く手に入りますから
覗いてみてください。
その先右側に砂町会所があります。



次の左折路の向こう角が目指す「岐佐神社」です。
ここは神社境内が回りより5メートルほど高い「お山」、ここに
各町の大太鼓が集まり、鳥居をくぐり階段をあげて揃います。

今日は誰もいない道ですが、ここが人で溢れる様子に気持ちが
高まります。

※舞阪は歩く町です。細い道が多く車を乗り入れるより、弁天
島海浜公園などに車を置き、歩いての来舞をおすすめします。



 

舞阪大太鼓祭り 練習の夜 西町から仲町へ 

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舞阪大太鼓祭りはいよいよ明日宵宮(よいみや)が始まります。
昼間の散策を終えてのんびりしていると電話をもらいました。

「おい、いっちゃ、練習はじまってるぞ」

弁天島の「あそび隊事務所」の窓を開けると「ドーンドーン」と
夜の海に舞阪の大太鼓が響いています。出撃です。

東海道舞阪宿は東海道が海(浜名湖)に突き当たる宿場です。
現在はそこに舞阪港があります。その突き当たりが「西町」です。

2メートル以上ある太鼓は「ドーン」というより「バーンッ」とい
う炸裂音がするのです。その音が夜の舞阪から浜名湖に響いてい
ます。



誘っていただいたのはシイラ遊漁船「哲昌丸」の哲さん、お孫さん
の手踊りの練習を見に来ていたのです。



太鼓は男が叩きますが、手踊りはもちろん女の子たちが中心、伝統
的な踊りから現代の曲まで盆踊りよりはるかに多い曲を覚える舞阪
の子供たちです。



「ぐるりと四町を廻ってみるか」、哲さんのご厚意で旧東海道、現
在の往還通りの祭り前夜の盛り上がりの中を歩きます。
これは西町の中学生と子供の太鼓、舞阪の子供たちは小さな頃から
町の祭りの主役「敬愛青年」になろうと練習を積むのです。



舞阪港に近いところから西町、そこから往還通り(旧東海道)を上
って行けばすぐに仲町に到着します。
こちらでも子供たちがそれぞれの成長に合わせた大太鼓に挑んでい
ます。

舞阪の子供たちはこの太鼓を叩き、その爆発音のような元気な音を
叩き聴いて育っているのです。
散策は西町から仲町へと続きます。



 

舞阪大太鼓祭り 練習の夜 仲町から新町、砂町へ 

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明日から始まる舞阪大太鼓祭り、明日は町内を大太鼓や手踊り
が廻ります。前夜は待ちきれない気持ち溢れる練習が行われて
いました。

舞阪往還通りは松並木から旧国一を渡ったところから下り、舞
阪港に至るかつての東海道です。
かつでは舞阪宿からは新居宿まで船で渡っていた。
その東海道を上っていきます。

往還通りの中ほどにあるのが「仲町」です。男の子供たちの大
太鼓の隣では仲町の手踊りの練習が行われています。
祭りはじまるの気持ちで夜の往還通りを子供たちが踊ります。



仲町青年「朝日青年」が揃いの着物で大太鼓を叩きます。
祭り前夜、昼間の作業時間も引き締まっていましたが、夜は青
年たちを祭り青年に変身させています。
舞阪最大の大きさだという太鼓が炸裂するように鳴り響きます。



さらに東海道を上れば「新町」の太鼓が「新青年」によって叩
かれています。この太鼓も大きな太鼓です。
舞阪の太鼓の炸裂音はまるで花火が爆発したと表現したいほど
に耳だけでなく体を震わせます。



通りいっぱい広がった手踊りの女の子たち、どの子もはじまる
祭りへの期待でキラキラとしています。
祭り前夜の期待の輝きです。



もう一度往還通りを下ります。大太鼓祭りは岐佐神社の祭典、
その神社のあたりが「砂町」です。
太鼓の音にこだわる「愛国青年」たちが最後の太鼓締めの途中で
す。立てればこれほどの大きさがある太鼓なのです。



哲昌丸の哲さんのご厚意でぐるり舞阪四町を歩いた締めは砂町の
会所です。
こちらは大人の手踊りの最後の稽古の最中でした。

しっとりとした大人の女性の手踊りは祭り前夜を締めるのにぴっ
たりのものでした。

いよいよ明日からはじまる舞阪大太鼓祭り、南浜名湖あそび隊は
初めての祭りを見せていただきに歩きます。
その様子をここで書いていきたいと思います。

この町が好きだ。この町の魅力は歩いて見つける町なんだ。
そう思った今夜の小さな旅でした。

哲さん、案内ありがとうございます。



 

舞阪大太鼓祭り 岐佐神社

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いよいよ今日は宵宮(よいみや)を迎える舞阪大太鼓祭り(岐佐
神社祭典)の岐佐神社を昨日午後訪ねました。

てっぺんに松を付けた大幟が立つ岐佐神社は道路から5メートルほ
ど高くなったお山の上に神社が建っています。



玉垣から境内に入るには三連の鳥居をくぐっていきますが、この
鳥居の内幅は2.4メートルほどになっています。
この鳥居をくぐる各町(西町、仲町、砂町、新町)の太鼓(台)
は鳥居ギリギリまでの大きさになっているそうです。

そしてその先28段の石段をこの太鼓(台)を上り、社殿の横に
並ぶのだそうです。急で高い石段を見ればさぞや勇壮であろうと
想像します。(またこの階段を降りるのも大変そうです)



玉垣には各町の有志の名が刻まれています。
海の男たちを守り、多くの神話を持つ神社が舞阪の歴史をつない
でいます。
神社は裏側から訪れることもできますが、細い路地がつながり、
かつての舞阪の暮らしを想像する楽しみがあります。



舞阪の町の道路には幟を固定する柱穴や、笹を挿す穴が設けられ
ています。
大切な祭りに根ざした暮らしがあることを知るのです。

今日明日は一日舞阪で歴史ある祭りを楽しみたいと思います。

祭りを取材するにあたりご注意いただいたことをご案内します。

1)お神輿の写真を撮ってはいけません
2)二階からお神輿を見下ろしてはいけません
3)太鼓に触ってはいけません



 

舞阪大太鼓祭り 鈴木五十廣さんに聞く

カテゴリー │舞阪大太鼓祭り2011



南浜名湖のすばらしさを伝えるにあたり、しっかり勉強したい。
舞阪町観光協会が今年開催しているBMP(舞阪町・弁天島100人
マイスタープロジェクト)に参加して、地元のさまざまを学んで
います。

そこで歴史や文化の講演を担当されているのが「舞阪宿案内人の
会」の鈴木五十廣先生です。
今回祭りを取材するにあたり、さまざまに教えを乞いました。

お教えいただいたことは、私たちだけのものではありません。ここ
に先生の言葉をお借りしてご案内いたします。

海に生きる男たちの魂を揺さぶる祭り

「漁業が盛んな舞阪の大太鼓祭りは、町内の安全と海上安全、豊
漁を祈願して、毎年旧暦9月14・15日の両日、岐佐神社の例祭の
余興として行われます。

 祭典は神輿の渡御に伴い、年番町の太鼓を先導役に大小8台の太鼓、
女子の手踊りが町内へ繰り出し、道中をにぎやかに練り歩きます。

江戸時代、舞阪は東海道五十三次の宿場町でもあったことから、大
名行列に由来しているともいわれます。
祭典の進行は伝統としきたりを重んじ、現在に受け継がれているの
も特色の一つです。



太鼓と音の大きさを競い合う

太鼓の大きさは明治時代の中ごろまでは直径約60cm、大正時代には
直径約1.2mの小さな物が使用されていましたが、昭和の初めごろか
ら漁業が盛んになるにつれて太鼓と音の大きさを競うようになりま
した。

昭和9年には直径約1.8m、昭和12年には直径約2.2mという、当時で
は類を見ない大きさの太鼓が作られ、町民をびっくりさせました。
現在では直径2.4mが最大です。

見どころは若者たちが大太鼓を長さ1mほどもある太鼓ぶちで勇壮に
打ち鳴らす姿。若者たちが先を競って太鼓を叩き、海に生きる男た
ちの心意気を示します。

太鼓のリズムと音の大きさも見逃せません。神輿のお立ち、納まり
のとき、木遣り唄に合わせて担ぎ手が神輿を揺さぶり、男たちの魂
を奮い立たせます。



貝の神様をまつる岐佐神社

岐佐神社は町の中央部の小高い丘に鎮座する舞阪の氏神様です。御
祭神は蚶貝(きさがい)比売(ひめの)命(みこと)と蛤貝(うむ
がい)比売(ひめの)命(みこと)。

蚶貝比売命は赤貝の神、蛤貝比売命は蛤の神であり、「古事記」に
は大国(おおくに)主命(ぬしのみこと)を生き返らせた女神とし
て登場します。

「延喜式神名帳」(延長5年・西暦927年)によれば、遠江国六十二座、
敷智郡六座の一社として「岐佐神社」の名が記録されております。
千年以上の歴史のある式内社の一社です。

氏神様として地域の守護神であるとともに、御祭神が貝の神様である
ことから水産・漁業の守り神として古来、漁民の信仰を集めてきまし
た。また大国主命を生き返らせたことから病気平癒、健康成就にもご
利益があるとされています。」

鈴木先生お教えありがとうございます。

今日からの祭りに際し、しっかり読み、祭りに臨みたいと思います。