年番仲町から西町年へ 舞阪大太鼓まつり

カテゴリー │舞阪大太鼓まつり2019(仲町年番)



岐佐神社に納まった神はさらに響き鳴らせと、供してきた後続の西町、砂町の青年太鼓揚りと打ち納めに歓び、いよいよ最後尾の新町の大太鼓を迎えます。

昨年の年番の新町は今年は最後尾、既に打ち納まった先行町の大太鼓はなく、新町のみが境内への石段にあります。



大太鼓の打ち手は法被を脱ぎ預けて長い太鼓ぶちを持って大太鼓に挑む、まつり最後の太鼓は新町衆の見せどころです。



境内にあがれば決まりの五分間練り、残り5分、3分、1分、30秒の手の合図は大太鼓男たちを奮わせる。子供にとっても年番年は大きな経験となりますが、大人も同じ、次に打ち納めをするのは4年後です。



五、四、三、二、一、新町大太鼓は上からのシートを被り、この瞬間に仲町の年番年の大太鼓が納まり、あたりは静まります。



既に社殿の中には舞阪四町、仲町・西町・砂町・新町が揃い座り、氏子総代を前に宮司さんによる年番渡しがはじまります。



乾杯の猪口が配られ酒を注がれる中、岐佐神社からのお供物は柿、一日酒で荒れた胃を冷やすという説あれば、女子たちが「くださいください!」とねだるのは「良縁を授かる」と舞阪の伝説でもある柿のふるまいです。



岐佐神社の年番は一年の長さ、今年は仲町の年でしたが、まつり終われば西町年番の年となります。
向かって右の仲町から左の西町へ年番が渡されます。この時から西町の年番がはじまります。



年番を終えた仲町の竹中氏子総代がお礼の挨拶をします。前回年番年から務めた総代は変わってゆく状況の中でさまざま工夫したこと、台風接近による開催でさまざまな協力を得て終えることができたことへの感謝を述べています。

最後は舞阪の手締め、「シャンシャンシャン、オシャシャンシャン」と唱和して舞阪岐佐神社のまつりが終わりました。




 

御輿お山納まり 舞阪大太鼓まつり

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一年に一度旧暦9月15日の本まつりで舞阪岐佐神社の祀神の稲荷山までの渡御する列に供した列は、復路神社に達します。

荒ぶるを喜ぶ神の乗り物御輿は氏子の男たちの肩に担がれて戻りますが、まだまだこの旅を続けよという。





揃いの直垂の男たちに担がれて石段を上がればこの旅、まつりは終わり、石段の周り、石段上の境内は神を迎える氏子で溢れています。



天狗さんの祓いに払った御輿台が待つ社殿の中には神を迎える衆、境内には神の無事の納まりを見守る氏子たち、はじまった木遣り音頭がまだまだ納まらない神の気持ちに響き、男たちは御輿を揉みに揉み、ゆさぶれば神はさらに喜ぶのです。



そして納まりの木遣り音頭の終わりと共に「あれはありゃりゃんりゃん、よーいとこよーいとこせー」の唱和とともに、「それっ」と社殿になだれ込み、見ることは叶いませんが、神を納得させるほどの荒ぶる男たちにゆさぶられて、神は納まるのです。

神は社殿で続く西町、砂町、新町の青年太鼓の荒ぶるを楽しもうと座し、大太鼓が石段下から見上げ応えるのです。



 

灯火の復路 舞阪大太鼓まつり

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16:40分に灯火を点けてはじまった復路は稲荷山から往還通りこと旧東海道をたどる道、古く江戸時代から海に突き当たる舞阪宿は東海道30番目の宿場です。



復路も先導するのは年番仲町朝日少年太鼓、その後ろに青年太鼓、神の御輿はその後ろにある。狭い往還道理に篠と注連縄の結界はさらに狭くあります。



御輿の進行は秒単位で合わされ、4町が時計を合わせ写真ではあと3分でここから出立することを知らせる、1分となり出立となります。



その頃、それぞれの町に到着した手踊りの列は町内に披露する総踊り踊りおさめをはじめ、その任を終えていきます。

子供たちと共に踊る出し物、女子青年だけのしっとりとした踊りとここ数カ月に総仕上げの踊りが行われています。



神の御輿は復路の御輿休所に入り休憩、青年や少年は大太鼓に見張りを残し自町へと戻り夕食の時間となります。



御輿休所では氏子総代の挨拶で神との膳のお相伴、沿道に沿い、これほどの人数を受け入れられる座敷を持つ家で休所とする家は大変に貴重、家具や建具を運び出し、時に畳を替えと神の休所の準備は大変なことです。



休所から出立すれば先導の仲町少年太鼓が岐佐神社の石段上がりをはじめます。
これを応援し背を押すのは手踊りを終えた少女たち、石段上がる大太鼓は打ち手に覆いかぶさるような圧力と大きさを持っています。

女子の応援の声響き大太鼓はさらに大きく響き、ジリジリと石段を上がっていきます。



続く年番の仲町青年太鼓は最も早く境内に揚がり、続く町を待ち受けます。境内に揚がってしまえば与えられた大太鼓打ちの時間は5分間、打ち鳴らし終えた大太鼓にはカバーがかけられその任を終えていきます。

続いて来年の年番西町敬愛青年太鼓、砂町愛国青年太鼓、昨年の年番の新町青年太鼓が石段に挑戦します。

岐佐神社




 

稲荷山納まり 舞阪大太鼓まつり

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台風通過のために準備できなかった篠立て注連縄張りからはじまったまつりは1時間遅れではじまり、午前の往路を少しづつ早めて往路稲荷山を目指してきました。

舞阪四町の東端の新町から旧国道一号を渡れば白い鳥居を持つ稲荷山です。



先導した年番仲町の少年・青年太鼓打ち鳴らされる中、神のお神輿が到着します。台風一過の天気は早朝は強風の中、往路は30℃を越える眩しい日射しの暑さの中の行列でした。



稲荷山の広い納まり所に幕を張り、御輿台を置いて天狗さんが祓いに祓い、水で清め清めして待ち受けます。



神に供した宮司さん各町の総代が納まりの練りを楽しむ神を待ち受けます。

青年に託された渡御の列を後ろで全て支える総代、後見や年行事、多くの町民が力を合わせて達成する往路が完結します。



出立も納まりも木遣りの音頭、唱和する声の中、神を喜ばせる練りが続きに続きやがて納まりの音頭がはじまります。



練りながらゆさぶりながら一気に納まる御輿、ここが往路を担ぎ続けた年番仲町の見せどころ、総代が言うように多くを今に変え年番年を創りあげてきた往路の完成、歓声です。



見事納まった御輿、神も氏子もここで休憩、16:40分からの復路への鋭気を養います。
復路は灯火の中、舞阪中を篠と注連縄で結界にした中、美しくまた荒ぶり賑やかな列がはじまります。

岐佐神社



 

往路御輿休所 舞阪大太鼓まつり

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舞阪大太鼓まつりこと岐佐神社祭典は祀神の渡御の供をするまつり、往路新町の稲荷山を目指していきます。

荒ぶる大太鼓、手踊り賑やかな列は往路に一か所、復路に一か所御輿休所が設けられています。往路休所鈴木池(仲町)前には御輿台が据えられ、天狗さんが大榊で清めに清めて御輿を待っています。



祀神が乗った御輿が到着します。荒ぶれば荒ぶるほど喜ぶ神の乗りものは傾き、起こされ、持ち上げれ、揺さぶられてやってきます。
休憩に入る前に神を喜ばせる年番仲町の衆の活躍どころです。





御輿休所から仲町の喉自慢衆の木遣りがはじまります。

神と祭りとこの地を祝う節に御輿衆の「ありゃりゃんりゃん、よーいことよいとこーせ」の唱和が次第に盛り上がり、御輿台へとおさまります。神と供は1時間の休憩となります。





御輿休所の鈴木家の座敷に神、宮司、四町の役員衆が入り、神と膳を共にします。

休所内の配膳やさまざまな世話は赤い印をつけた年行事のみが行います。一般のものは敷居を越えることも許されません。




 

神の列に供する 舞阪大太鼓まつり宮下通り

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舞阪で一か所だけ「お山」とも呼ばれる岐佐神社の境内は石段の上、年番として先導する仲町少年・青年太鼓が宮下通りに降りれば、いよいよ神の乗る御輿渡御がはじまります。

岐佐神社の神は女神、荒ぶる男たちが大いに御輿を揺らし担がれてゆくことを喜びます。御輿の鳳凰や飾りはあらかじめ外されていきます。



年番仲町のみなさんが揃いの直垂(ひたたれ)を着けて御輿を担ぎ降ろします。

渡御の列は宮下通りから西進して魚あら前を通過し、西町角から舞阪往還通り(旧東海道)を東へ、四町の東端となる新町から国道を北に渡った稲荷山を目指していきます。



列の先頭は荒ぶる二人の天狗さん、大榊を振るい清めて歩きます。天狗さんには青年がつき葉がなくなれば大榊を取り替えます。

沿道に詰めかけた氏子は頭を垂れ天狗さんの大榊で祓っていただきます。



天狗さんの祓いと清めの水、一年に一度の渡御は岐佐神社の神が氏子の通りを行くまつりです。普段石段の上のお山に参れないものは御輿に手を合わせることができるのです。



各町の列を賑わせてゆくのが手踊りです。各町女子がまつり前に練習して臨む出し物は多く、各町趣向をこらして踊り歩きます。

舞阪四町の青年にはそれぞれ呼び名があり、年番仲町は朝日、西町は敬愛、砂町は愛国、新町は新、それぞれ朝日青年、少年、女子青年などと呼ばれています。



手踊りの列をリードするのは女子青年、中学生や小学生もグループをつくりそれぞれの出し物を練習し披露します。

大太鼓は男子に継承され、子供から少年、青年と成長し、手踊りは女子に継承され、いつか女子青年となる日を夢見て育ちます。




 

仲町朝日少年太鼓で始まるまつり

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舞阪岐佐神社祭典は大太鼓を叩く青年・少年で成り立っている。だけでなく総代や後見、多くの中老、町民が力を合わせて神に奉仕するまつりである。

そして繋がる文化は子供たちが継承する。まつりのはじまりは年番仲町の少年太鼓ではじまります。よくぞこの年に年番に、中学の上級生は太鼓を、下級生は笛を担当する。少年たちに指導者の中老から「年番だ思い切りいけ」の指示あり。「おう!」と応える少年たち



もちろん「大人」の担当する社殿内の神事は別に、少年たちの大太鼓は境内から宮下で待つ町民へのまつり開始を告げる響きとなる。
中学生たちが初めて(でないかもしれませんが)ヒーローになるまつりの朝である。



太鼓ぶちと呼ばれるまるでバットのような長さのバチを体ごと打ち込まねば舞阪の大太鼓は響かない、体を跳ね返すほどの大太鼓を御する若い力が立ち向かう、青年や中老が指で知らせる時間いっぱいまで何度もチャンスをもらい、経験を積んでゆく。
中学生は次の年番にはさらに大きな青年太鼓に昇格できる。



下級生たちは大太鼓に負けずに吹く笛を修練する。上級生の大太鼓と共に年番のみに与えられたまつりの初笛を吹いた経験が次の年番に活かされる。この中に前回の年番時にはまだ子供そのものだった子が、いまや174センチだという。

4年で子供は少年にそして青年へと育つ、刮目すべし。



少年太鼓は仲町の衆によって向きを変えていきます。太鼓台の舵を切り、押して戻してこじながら向きを変えていきます。もちろん大太鼓を打ち鳴らしたまま。



年番少年太鼓だけに与えられる石段下り、下りながらも大太鼓を打ち鳴らします。石段下には待ち受ける多くの町の衆、大太鼓を支え降ろすのは少年たちを応援する仲町の衆、ここで打ち鳴らさねば年番朝日少年ではなく、見事成し遂げるから朝日少年なのです。




 

台風一過の一時間遅れ 舞阪岐佐神社本まつりの朝

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台風19号の襲来で昨日12日(土)の宵まつりは中止、台風一過ながら強風の今朝は準備ができなかた篠立てと注連縄張りを町内あげて取り組み、岐佐(きさ)神社の神の道”結界”ができあがりました。

例年より一時間はじまりを遅くしての本まつりの開始となりました。



岐佐神社を語るに大太鼓は欠かせず、大太鼓を乗せた太鼓台がくぐり抜ける三連の石鳥居を紹介せねばなりません。

祭典は舞阪四町(西町・砂町・新町・仲町)の大太鼓(台)はこの鳥居の幅ギリギリの幅と高さで作られ、さらに大太鼓(台)は奥の石段を境内まで上ります。



本まつりの朝は年番仲町の子供太鼓(小学生)がまず石段の下に据えられ、石段の上の境内、社殿前に少年太鼓(中学生)が据えられています。

年番は4年に一度、まつりは年番少年・子供太鼓の打ち鳴らしではじまります。次の年番には子供は少年に、少年は大人へと育っていきます。舞阪の子供たちはより大きな太鼓に挑戦する年番を迎えます。



石段を上がった境内の社殿前に据えられた少年太鼓です。少年用といってもかつて大人が使ったものを使うために既に見上げるような大きさ、これを一番に打つのが中学生たちの誇り、年番に当たりこの年に育った者の特権でもあります。

少年たちは次回年番にはさらに成長し、青年太鼓に達します。



社殿に向かって左側には年番仲町朝日青年の大太鼓(台)が据えられています。年番青年太鼓は少年太鼓に続いて打ち鳴らされ、少年・青年の順に石段を下り、神の乗りもの「御輿」の列を先導します。



仲町の対面には西町・砂町・新町の青年太鼓が並びます。御輿が宮下に降りれば続いて石段を下りて神の列に加わります。



社殿の中には神の乗りもの「御輿」が据えられています。岐佐神社祭典は神を乗せた御輿を護りながら荒ぶる大太鼓、賑やかな手踊りの列が舞阪往還通り(旧東海道)を新町にある稲荷山までの往路を行き、復路は灯火を点けて稲荷山から岐佐神社までを戻るまつりです。



先着している年番仲町朝日青年に続き各町内青年・少年が到着しします。いよいよ岐佐神社祭典がはじまります。