お花畑の氏神神さま 北弁天神社

カテゴリー │初代弁天小僧のチャリ旅浜名湖



心地良い青空の弁天島、今日も軽快にペダルをこぐ初代弁天
小僧@鈴木のチャリ旅、JR弁天島駅横の高架をくぐり橋を渡り
水路に沿って左にすすみます。

お花畑の真ん中に、小さな神社が建立されてます。
鳥居の中央には『北弁天神社』と刻まれています。



丸みを帯びた手水舎が時の流れを感じさせます。
由緒を示す、表示はございませんが、燈篭には昭和2年12月
と刻まれてます。

場所はこちらです。JR弁天島駅よりご案内いたします。


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南浜名湖あそび隊!は雄踏に兄弟ブログを開設しました。
南浜名湖雄踏あそび隊!」をよろしくお願いいたします。

南浜名湖の情報は「南浜名湖.com」をご活用ください。



 

さわやかウォーキング案内編(海浜公園~JR舞阪駅編)

カテゴリー │初代弁天小僧のチャリ旅浜名湖

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5/20(土)は、JR東海主催の、「さわやかウォーキング」が
弁天島駅スタート、舞阪駅ゴールのコースで実施されます。
タイトルは「舞阪の潮風と旧東海道歴史探訪」

チャリ旅案内人、初代弁天小僧・鈴木が一足先にご案内します。

弁天島大鳥居、今切口の景色を楽しみながら海浜公園を
散歩しましょう!
公園管理事務所近くには種田山頭火の歌碑もございます。
東側には公衆トイレがございます。



弁天橋を渡り、北雁木、脇本陣に向かいましょう。
左手に見える、鉄橋は一番鉄橋です。
橋を渡り、進みますと那須田又七顕彰碑がございます。



雁木とは、階段状の石畳を敷き詰めた渡船場、舞阪に当時
3つの雁木があり、北雁木は地位の高い者が利用。
本(中)雁木は武家用、南雁木は庶民用や荷物の積み下ろし
に利用されました。

現在は、北雁木のみが残ってます。



三叉路を左折すると、旧東海道往還通りに入ります。
右手に脇本陣がございます。



舞阪宿は、今切れの渡しでしか新居宿に行く事が出来なかった
ため天候等で渡れない時等のために、「御本陣」「相本陣」
「脇本陣」と三つあったとされてます。



江戸時代の中期ころ構築。
「見附」は見張所にあたる。諸侯の通行の際などには、石垣の
横に六尺棒を持った番人が立ち、人馬の出入りを監視すると
ともに、治安の維持などにあたったとされてます。

見附石垣横のの案内にそって、舞阪灯台郷土資料館
向かいます。



旧東海道往還通りを抜け、交差点を斜め左に折れますと
旧東海道松並木に入ります。



旧東海道松並木を散策しながら、喫茶店を目印に左に曲がり
ますとJR舞阪駅(南口)に到着します。



さわやかウォーキングのパンプレットからのコースを参考に
ご案内させていただきました。

当日は、弁天島駅で散策マップが配布されます。
ご案内にしたがって散策をお楽しみ下さい。


舞阪駅近くのお土産情報です。
浜名湖といえば、やはりうなぎですね。舞阪駅連絡橋を渡り
駅北口に浜名湖うなぎ問屋『竹常』さんがございます。

散歩の後のスタミナ補給、夕食に美味しいうなぎの白焼きは
いかがですか?
予め電話連絡をしておくとご指定の時間に用意してます。

浜名湖うなぎ問屋『竹常』
TEL 053-592-0126

お問合せ:JR東海テレフォンセンター
      TEL 050-3772-3910(06:00~24:00年中無休)



 

さわやかウォーキング案内編(弁天島駅~乙女園編)

カテゴリー │初代弁天小僧のチャリ旅浜名湖



5/20(土)は、JR東海主催の、「さわやかウォーキング」が
弁天島駅スタート、舞阪駅ゴールのコースで実施されます。
タイトルは「舞阪の潮風と旧東海道歴史探訪」

チャリ旅案内人、初代弁天小僧・鈴木が一足先にご案内します。
駅を出ての左側に自動販売機が設置してます。
水分補給の準備を忘れずにスタートしましょう!



駅を出て、左側(豊橋方面)に歩きます。
反対車線側には、昨年リニューアルオープンした、ホテル
THE OCEAN、日帰り入浴も利用できます。
マンションを挟んで、コンビニ(サークルK)があります。
この先に、お店はありませんので、飲み物、おやつ等は
こちらで買うと良いでしょう!



浜名橋を渡り、橋を挟んで異なる浜名湖の風景、鉄橋を渡る、
新幹線、電車を眺めながら散策を楽しんでください。
弁天島駅は、3つの鉄橋でつながり、ここは2番鉄橋と呼ばれてます。



新幹線は大人になっても見るだけでもワクワクします。
時間が合えば、在来線との並走シーンも見れるかもしれません。
景色を楽しみながら、シャッターチャンスを待つのも楽しいですよ!



橋を渡り、右折します。*階段を降りないようご注意下さい!
交差点はカーブの出口に当たり、見通しが悪いので不用意に
反対側の歩道に横断するの、危険です。
鉄橋の下を通り、頭上を通過して行く、新幹線も迫力ありますよ!
歩道を進みながら、最初の交差点を左折します。



無料駐車場の案内板を目印に左折して進みます。
こちらも、カーブ出口で見通しが良くありません車に注意して
横断して下さい。

直進すると浮見堂のある乙女園、魚藍観音像につきあたります。
途中、右側の芝生に乃木将軍の銅像がございます。
*浮見堂は補修工事中の為、当日は立入り出来ないかも
  しれません。


 
景色を楽しんだ後は、来た道を戻りながら、海浜公園を
目指しましょう!



浜名橋を渡り、横断歩道を渡ると海浜公園の入口です。
ご案内は続きます。


弁天島駅周辺、お土産情報です。
駅を出て右手に進み、線路の高架をくぐり5分程歩くと
丸昌河合商店さんがございます。


お問合せ:JR東海テレフォンセンター
       TEL 050-3772-3910(06:00~24:00年中無休)







 

2012年4月、弁天島にもうひとつの大鳥居出現!

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ゴールデンウイークに向けて弁天島海浜公園の関係者の方々
がお客様の、お迎えの準備に向けて公園内の環境整備が大急ぎ
ですすめられてます。

東側公衆トイレのお色直しも完了しました。
四方向のアサリのオブジェに舞阪(弁天島)のイメージ・アートが
ペイントされてます。

南浜名湖に、もうひとつの色鮮やかな、大鳥居の出現です!
奥の方には、松の絵が描かれています。

白砂青松、昔、弁天島のこの辺りは砂洲が新居の橋本辺り
まで続き、白砂青松「天の橋立」のような風景が続いてました。

そんな弁天島の美しさに誘われてか、ある日天女が舞い
降りたと
いわれてます。



あとの絵は気になる所ですが、来てのお楽しみとしましょう!

心地よい波音と潮風、パームツリーが迎えます。
マイアミビーチを思わせる南浜名湖、初夏の兆しです。
 
施設のお問合せ : 舞阪町観光協会

南浜名湖は、アソビのベースキャンプだ!
楽しいアソビの案内人、南浜名湖.comがご案内いたします。


 

もうひとつの弁天神社

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弁天島にもうひとつの弁天神社が鎮座してるのをご存知
でしょうか?

国道一号線沿い、遠鉄バス「新弁天」バス停近く、
浜松方面進行側に、小さな神社、『新弁天神社』が鎮座してます。



由緒などの案内板は、ございませんが、
鳥居には、昭和55年3月吉日 古橋松雄、岡田太郎奉納と
記されてます。



小さな社殿には、石が祀られてます。
社殿の後ろは、新幹線、在来線が並走するJR東海道本線
が通ります。

今切れ口、遠くは遠州灘に向かい鳥居が建立、航海安全、
交通量の多い国道一号線、氏神様が事故のないよう鎮座
しているのでしょうか。



 

日本青少年キャンプの父 乃木さん

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自転車で巡る南浜名湖
南浜名湖あそび隊流・サイクリングコースを作ろう!
初代弁天小僧・鈴木はペダルも軽快に弁天島を駆け回ります。

乃木大将といえば、司馬遼太郎著書 「坂の上の雲」の中で
日露戦争で旅順要塞を陥落させた軍人として有名ですね。



JR弁天島駅西側の乙女園公園に「日本青少年キャンプの父
乃木さん」の銅像が建立されてます。

「乃木銅像再建の由来」

東海道を上下する旅人は濱名湖弁天島の一角に元学習院長
乃木大将の石像があったことを覚えているであろう

これは濱松市の故渡辺兼次郎氏が大将の人格に成りして
東郷大将の勧めにより県下の小中学校の児童生徒の心の
こもった浄財と有志の献金によって昭和18年に建てられたも
のである。

然るに昭和19年の遠州地方の震災で倒壊したが當時は太平
洋戦争中の最中で、これを復元することもできず終戦を迎えた
のである。

乃木将軍は学習院長時代に賞で英国でペーテン・ポウエル卿
から教えられたボーイスカウトキャンピングが自然に親しみつ
個性啓発と共同一致の精神とを養成する 「しつけ」 の教育の
真髄であると信じました。

これを学習院教育の一部に導入しようと毎年夏季に神奈川県
庁瀬の海濱に生徒と共にキャンピングを楽しんだのである。

大将の崇高な人格とスカウト精神に徹した行動を慕うボーイ
スカウトは「われらの手で乃木さんの銅像を再建しよう」と
奮いたって資金の募集を世間に呼びかけた。

「徳は孤ならず」 の内外の有志の賛同を得てここに銅像が
完成し、東海の景勝地弁天島に再び大将の温容を仰ぐに
至ったのである。

われらはここをスカウト運動の據点としていよいよここに、
この運動の普及を図り平和国家建設の一翼を担わんと
するものである

昭和35年4月3日
日本ボーイスカウト静岡県連盟にて建立


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場所:浜松市西区舞阪町弁天島3071番地 乙女公園    



 

春の旧東海道松並木散策②

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JR舞阪駅南口ロータリーより路地を抜けると、国道一号線と
平行した旧東海道松並木にさしかかります。
緑豊かな街路地は地域の生活道路として利用され、木陰の下
をペットと散策する姿が見られます。



江戸時代舞阪宿で唯一の舞阪橋がかかってました。
北にある西長池から松並木を横切って昭和10年頃まで
きれいな水が流れてました。



松並木を通り抜けると、遠州七不思議のひとつ
「浪小僧像」があります

むかし、遠州灘の浜では地引網漁が行われてました。
魚がとれない日が続いたある日、真っ黒な小僧が網にかか
りました。漁師たちは気味悪がり小僧を殺そうとすると、

小僧は、「私は海の底に住む小僧です。命だけはお助け下さい、
その代わり、ご恩返しに海が荒れたり風が強くなったりする
時は海の底で太鼓をたたいてお知らせします。」と言うので
海にもどしてやりました。

それ以来、天気が変わると時、波の音がするようになったと
伝えられてます。

浪小僧像を通りすぎると、国道一号線との交差点にさしかか
り旧東海道松並木の終点です。交差点を斜めに横切ると
旧東海道往還通りに入ります。

弁天島海浜公園でレンタサイクルを借りて気ままに
南浜名湖、舞阪・雄踏町を一緒にサイクリングしましょう。

初代弁天小僧・鈴木が楽しいアソビにご案内いたします。



 

春の東海道松並木散策①

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普段は、車で通り過ぎてしまう、東海道松並木。
歩いてみると、歴史を伝える物がたくさん残されてます。

慶長9年(1604)徳川幕府の命により街道を整備し黒松を植え
たのに始まります。

正徳2年(1712)には舞阪宿の東端見付石垣より馬郡境まで
8町40間(約920m)道の両側の堤に1,420本の立木があった
といわれてます。

その後寿命や台風で倒れる一方、その都度補植などを行って
来たが昭和13年(1938)国道付換の歳、堤を崩し両側に歩道を
つけ今日の姿になった。

現在700m株数約330本、旧東海道の面影を良く残している。



北側(右側)の松の木の間には十二支の石像が進行方向に
子、牛、寅の順にならび、南側(左側)の松並木には東海道
53次の各宿場の銅板が設置されてます。



舞阪 今切真景

舞阪宿は江戸日本橋から67里(364.9km)品川宿から数えて
32番目の宿である。
東海道の陸路は舞阪で一度切れて、ここから新居宿まで
海上一里半船を便りとして渡ることになる。

浜名湖はかつて遠淡海(遠江)とうたわれ淡水湖であったが
明応7年(1498)の地震により切れて入海となりました。
その切れ口を今切と呼ぶ、地震による被災から復興して
今切渡船の発着地となり舞阪は交通の要所となった。

東海道松並木散策のお話しは続きます。





 

舞阪・弁天島 石碑 歴史文学めぐり

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「弁天島楽園 跡」

浜松開誠館の創立者である長谷川鉄雄氏は、大正11年(1922)弁
天島土地株式会社を設立し、ここに楽園を建設した。

楽園は大衆納涼場で海水浴場としての諸設備や100mのプール、
300坪余りの大浴場、250室からの貸席、5000人が利用できる無料
の大休憩場からなり、貸船。遊船、売店、余興娯楽の他、和洋食や
飲料を安価で提供する大食堂があり、まさに夏のレジャーセンターと
して多くの人で賑わった。

また弁天島は、浜名湾遊泳協会発祥の地であり、楽園のプールを利
用し遊泳の全国大会がおこなわれ、世界的な選手を輩出するなど水
泳関係者の間では弁天島の名は全国に知れわたった。

当時、弁天島を訪れた松島十湖(浜松出身)は、「島狭し汽車の吐き
出す避暑の客」の句を残してる。

しかし、この楽園も北弁天の埋立てが進むと共に経営も悪化し、昭和
11年(1936)に終局をむかえた。



今は、公園として、グランドゴルフを楽しむ方々、元気な南浜名っ子
達の遊び場「楽園」として受け継がれてます。

JR弁天島駅より徒歩5分

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舞阪・弁天島 石碑 歴史文学めぐり

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初代弁天小僧、今回は、弁天島・通称:2弁地区(乙女園)のチャリ
旅です。

「浜名湖ホテル 跡」

昭和7年(1932)現在の2弁地区である、千鳥園、観月園、乙女園
が埋め立て造成され舞阪町に編入されました。

当時の鈴木六郎舞阪町長は、浜名湖観光の中心として風光明媚
な弁天島に国際的な観光施設の構想をたて、各方面に働きかけ
を行った。

その結果、埋立事業にかかわった飛鳥組がホテルの建設を計画、
昭和19年9月に起工式を行ない、昭和13年3月に開業しました。

浜名湖ホテルの外観は宇治の平等院を模していたが、内部はす
べて洋風で食事は、フランス料理であった。

また屋根は銅版葺で、弁天島駅にはホテル送迎用の馬車が用意
されるなど豪華であったが次第に戦時色が強まる時代の中でホテ
ルの経営はきびしく昭和14年の秋には閉館に追い込まれた。

その後、海軍の療養所などに使用されたが戦後民間の所有となり、
昭和22年に建物は解体され、箱根・芦の湖畔に「ホテル竜宮殿」と
して再建され、その姿を現在にとどめている。
              
                            舞阪町教育委員会

場所:乙女園、すがたばし近く



原田濱人 句碑

「鴨すでに 一連とぶや そこの風」

原田濱人(1884~1972)は浜松出身の県西部地方を代表する俳
人の一人で昭和14年(1939)に浜松で俳句雑誌「みづうみ」を創
刊、主宰しました。

この句は昭和16年に「浜名湖弁天島」と題して詠んだ句のひとつ
で、同年10月に句碑が建立されました。

場所:乙女園・浮見堂近く、うなぎ観音の愛称を持つ、魚籃観音像が立ってます。