東海道舞阪宿~新居宿は船で渡る

カテゴリー │東海道舞阪宿の渡し



JR駅を基点にさまざまな歩け歩けの会やツアーが催されてい
ます。
JR舞阪駅を降りて旧東海道を歩き、舞阪宿に至る。このコー
スは東海道の江戸から数えて30番目の宿舞阪宿を旅を再現す
る魅力あるコースです。

舞阪まで到着した旅人はここで浜名湖に突き当たります。
今や国道の橋やJRの鉄橋がかかる舞阪宿と新居宿の間は船で
渡る旅が続けられていたのです。

大名行列は本陣や脇本陣に泊まり、庶民は木賃宿に泊まって
それぞれの渡し場から新居宿へ船で渡ったのです。



現在もその渡船場後「北雁木(きたがんげ)」が舞阪港北側
に残されています。石が敷かれたがんげから旅人を渡すこの
旅を潮干狩りでも有名な弁天島遊船組合が請け負っています。

JR舞阪駅から歩き歩き来た現代の旅人をここで船に乗せてい
きます。



当時も同様だったでしょう。浜名湖に漕ぎ出す船に乗る特別
さは旅の楽しみの一つです。

北雁木(舞阪宿)を出た船は船頭の案内楽しく新居宿への船
の旅に出ていきます。

お問い合わせ:弁天島遊船組合:053-592-0933



 

東海道舞阪宿~新居宿は船で渡る2

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江戸時代は空前の旅ブームでもあったと言われます。大名の参
勤交代も旅ならば、商人も民も旅をした。
東海道を江戸から下れば30番目の宿が舞阪宿であります。

旅人は舞阪で浜名湖につきあたり、ここから次の新居宿には船
で渡っておりました。
今も舞阪港の北隣に残されているのが当時の渡し場「北雁木(
きたがんげ)」であります。

当時の旅を再現しようとツアーを企画したみなさんを乗せて
弁天島遊船組合のみなさんの船が出発します。



一隻8人ほど乗せた現代の渡船が浜名湖を行く。
当時も今も旅人は歩くだけの旅の最大の変化の船の旅を楽しみ
ます。

「あれが今切口、200mの幅で海とつながっとります」

船頭の案内面白く、浜名湖名産の海苔棚を見たり、弁天島のホ
テル群などを見て舟は新居を目指していきます。



遠くみえるのは新居、当時の新居宿の岸であります。
三番鉄橋が見え、JR東海道新幹線が走ってゆくのを見れば、だ
れもが経験する新幹線が浜名湖を通過する時に見える浜名湖の
景色を思い出しています。

今はその景色の中を船で行く、楽しさは格別です。



浜名湖岸は古くから漁業の街、沿岸だけでなく浜名湖岸の町に
は江掘(えぼ)と呼ばれる堀が掘られています。
この岸沿いに漁師の家が続いていた風情を新居は楽しませてく
れるところです。

道路を歩いて眺める江掘より、やはり船から眺める楽しさは
当時の渡しの様子をより再現しています。

舞阪宿から新居宿の渡しの旅はいよいよ最終回に続きます。



 

東海道舞阪宿~新居宿は船で渡る3

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浜名湖の漁はアサリなど湖の漁獲と舞阪港・新居港から出漁す
る遠州灘の漁があります。

東海道舞阪宿の北雁木(きたがんげ)から船に乗った現代の
旅人は浜名湖を渡り新居宿の関所を水上から目指します。

新居の江掘(えぼ)沿いには古くから海と共に暮らす人々が
住んでいます。大きな網を巻いたドラムを積んだシラコ船
(シラス漁船)が江掘に並んでいます。



大型の漁船もあれば浜名湖のさまざまな漁をする小船がズラ
リと並ぶ様子を見れば新居が海と暮らす人が多いことを知る
ことができます。
江掘から見上げる町はそんな人たちの町なのです。



普段なら歩いて渡る多くの橋を船でくぐり抜けてゆく旅は舞
阪から船で渡った宿の新居関所裏の船着場に到着します。

江戸時代に旅した人も歩くばかりではないこんな船旅を楽し
んだことでしょう。



今も建物が現存する新居関所はこの路地からすぐ、船頭さん
に安全な航行を感謝し、また現代の旅人は歩く旅に戻ります。

江戸時代の舞阪の渡しを再現する船の小さな旅は弁天島遊船
組合 053-592-0933がさまざまなお手伝いをしています。