弁天島橋めぐり 十七橋を巡る

カテゴリー │舞阪・弁天島の橋

弁天島橋めぐり 十七橋を巡る

大きな橋めぐり地図はこちらです。

かつての東海道の舞阪宿は江戸より三十番目の宿として賑わ
い、東海道が海に突き当たり船で海路一里を新居(あらい)宿へ
渡しをしておりました。

舞阪から橋(弁天橋)で渡る弁天島は古くより海水浴や行楽の
地として発展し、昭和に弁天島の北の浅瀬が埋め立てられて
美しい名を持つその島には多くの保養荘や別荘が建てられま
した。今は当時の名残を残す静かな住宅地となっています。

この弁天島の島々を結ぶ橋を紹介しようとこのブログの運営に
力をいただいております「舞阪海幸彦さん」の企画と写真で弁天
島と舞阪の橋めぐり
を連載いたしました。
十七橋をめぐる旅で橋とその周辺の紹介を行うことができました。
感謝いたします。

弁天島橋めぐり 十七橋を巡る

橋めぐりの連載を行う中で、古くから弁天島に住む人に橋の名の
由来と覚え方を教えていただきました。

JR弁天島のある弁天島から北へ、蓬莱橋を渡るとそこは蓬莱園、
蓬莱園から日の出園へ渡る橋を日の出橋、さらに北に進んでち
どり橋を渡ればそこは千鳥園となり、渚橋の向こうが渚園となる。

千鳥園を西に向かえば観月橋を渡って観月園に至り、おとめばし
を渡って乙女園となると教えていただいたのです。

弁天島橋めぐりはかつて埋め立てられながら新しい島を仲間に迎
えた弁天島の歴史に繋がります。
その橋めぐりは弁手島の散策の流れと到着する先を予測する橋の
名がつけられていることを知りました。

普段は車で通り過ぎてしまう橋はその名に歴史を持っています。
そして弁天島に住む人たちの心を知ることができるのです。

休みを使い橋を巡って写真を撮り、多くのお話を聞かせていただ
いた舞阪海幸彦さんに感謝いたします。

※南浜名湖橋めぐり「舞阪・弁天島の橋めぐり

※企画・写真:舞阪海幸彦さん



同じカテゴリー(舞阪・弁天島の橋)の記事

 
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
弁天島橋めぐり 十七橋を巡る
    コメント(0)