舞阪大太鼓まつり岐佐神社祭典 砂町の手踊り宮下通りを行く

カテゴリー │舞阪大太鼓まつり2016

舞阪大太鼓まつり岐佐神社祭典 砂町の手踊り宮下通りを行く

満月照らす往還通りを岐佐神社を目指す舞阪大太鼓まつりこと岐佐神社祭典は、先頭が復路の休所舞阪脇本陣に達しようとしています。

江戸時代も今も旧東海道は舞阪を貫き海に達する道、東海道30番目の宿場舞阪は、旧舞阪町時代に脇本陣を修復し今も当時の渡し場後「北雁木(きたがんげ)」を残しているのが舞阪の誇りです。

港につきあたり左折し巡行する往還通りと並行するのが宮下通り、ここでは砂町の手踊りが始まっています。

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男の子が青年の大太鼓を見て憧れ、タイコブチ(大太鼓を叩く撥)をねだり、子供太鼓から挑戦をはじめ少年太鼓を経て青年となり大太鼓を叩くようになるように、女の子は女子青年に憧れて手踊りの練習に参加し宵まつりを経て本まつりで踊ります。

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砂町の手踊りはリーダーとなる女子青年が二人前に立ち子供たちをリードしていきます。

子供たちが憧れの女子青年は法被の色も違う愛国青年、揃いの法被に帯、髪を編み込む女子青年は前に後ろに子供たちの手本となって踊って行くのです。

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太鼓が子供、少年、青年と成長する課程での挑戦があるように手踊りにも子供、少女、女子青年への成長への挑戦があります。

子供と同じ法被を来た中学生は女子青年と共に披露する踊りがあります。
もう子供ではない少女たちが将来の女子青年を目指しているのです。

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舞阪大太鼓まつりこと岐佐神社祭典は舞阪四町(西町・砂町・新町・仲町)が交代で年番をつとめます。

今年は西町が年番、来年は4年ぶりに砂町の年番がやってきます。

少女たちは中学生となって女子青年と踊り、中学生たちは憧れの青年女子となるでしょう。
男の子たちは中学生となって少年太鼓を叩き、中学生たちは憧れの大太鼓を叩く青年となるでしょう。

まつりは大人たちが守り子供たちが繋げてゆくもの、岐佐神社祭典は男も女も育ってゆくまつりなのです。

岐佐神社ホームページ
岐佐神社祭典2016(西町年番)
岐佐神社祭典2015(仲町年番)
岐佐神社祭典2014(新町年番)
岐佐神社祭典2013(砂町年番)
岐佐神社祭典2012(西町年番)
岐佐神社祭典2011(仲町年番)



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