2015年02月11日15:41

舞阪発西周りで島国日本を確認しようと手漕ぎカヤックで日本一周を目指す、舞阪出身の鈴木克章さん。
克章さんは海旅関連の先達に誘われ開催したのが「海旅一座 舟は地球を知る道具」講演が、2月7日浜松市篠原、8日浜松市富塚のはまぞうメディアラボで開催されました。
講座で「海を喰らう」をテーマに登場したのは高沢進吾さん、エスキモー漁師見習いだと紹介します。
高沢さんの胸には「Whalling Crew」の文字、舟に乗りクジラを追うエスキモー漁師の印です。

高沢さんが「戻る」地はアラスカの最北の地ポイントホープ、ここではエスキモーの仲間たちが狩猟舟「ウミヤック」を漕ぎクジラを獲っています。
8人乗りのウミヤックを漕ぐクルーとして毎年90日、なんと20年ここに戻って暮し、消えゆく伝統漁をエスキモー家族の一員として経験しています。講座ではクジラ獲りの話が披露されます。

鈴木克章さんが漕ぐシーカヤックは極北の地で生まれたもの、ウミヤックは木製の骨組みを海獣の皮を張ったもの、音もせず海そのものの自然の音となってクジラを待ち、近づき古き捕鯨法でクジラを獲る様子、そして今や船外機が導入された今を伝えてくれます。
高沢さんは手漕ぎウミヤックの時代の最後に「間に合い」体験する数少ない日本人のひとりであり生活者でもあるのです。

現地で行われるクジラまつりには写真のような正装を着て参加します。
20年にわたり共に生活することで、高沢さんは現地に父・母・弟・妹と呼ぶ家族がおり、お母さんにこの晴れ着を作ってもらっています。
座長である洲澤さんの補足に寄れば、取材で行けば撮れないクジラ漁・解体などの写真を高沢さんは残している。
これもアラスカに戻るというほどの繋がりの中で可能となったことなのでしょう。
その写真で私たちは初めてクジラ漁を解体を、その部位の名を味の想像ができるのです。

私たちはクジラの分厚い皮の下の脂の匂いにまみれる想像をしながら、高沢さん手作りのウミヤックの模型を見るのです。

そして獲ったクジラの体から出てきたという真鍮のモリ先を廻し見ることができたのです。
打ち込まれたモリ先は深々とクジラに刺さり、その先端を骨に当てて曲がっています。
クジラに何艘もの手漕ぎカヤックで近づき、古い時代の道具で挑み食糧とするエスキモーの暮しを想像することができるのです。
講演後高沢さんと憧れのアラスカの話をした。
私もアラスカや極北の海に憧れ、かつてその地を訪れた開高健兄の著作「オーパ!オーパ アラスカ編」の話をした。
「日本で読めばあのすばらしい表現とスピード感でワクワクするアラスカ話も、現地にいけば当たり前の生活の一部なんだよ」
極北に自ら暮らせば、全ては暮しの中にあり驚くには当たらないのです。
そして、アラスカの海の豊かさを「クジラが棲むくらいに豊かなんだ」と教えてくれるのです。
高沢さんはエスキモーの日常を淡々と話し、聞く私たちはドキドキを続けている。
エスキモー村に母と妹を持ち、クジラ獲り漁師のクルーでもあり、そして「今年も行くでしょう」という高沢さんと知り合うことができました。
高沢進吾さんの活躍は
カイジュウノツカマエカタ
Arctic Town of Alaska
※取材協力:はまぞうメディアラボ 高沢進吾さん 海旅一座のみなさん
※鈴木克章「海旅一座」講演・トークショーの様子はこちらです。
南浜名湖あそび隊!のまとめ読みは南浜名湖.comをご覧ください。
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舟は地球を知る道具 海旅一座高沢進吾さんの「海を喰らう」≫
カテゴリー │舞阪からカヤックで日本一周鈴木克章

舞阪発西周りで島国日本を確認しようと手漕ぎカヤックで日本一周を目指す、舞阪出身の鈴木克章さん。
克章さんは海旅関連の先達に誘われ開催したのが「海旅一座 舟は地球を知る道具」講演が、2月7日浜松市篠原、8日浜松市富塚のはまぞうメディアラボで開催されました。
講座で「海を喰らう」をテーマに登場したのは高沢進吾さん、エスキモー漁師見習いだと紹介します。
高沢さんの胸には「Whalling Crew」の文字、舟に乗りクジラを追うエスキモー漁師の印です。

高沢さんが「戻る」地はアラスカの最北の地ポイントホープ、ここではエスキモーの仲間たちが狩猟舟「ウミヤック」を漕ぎクジラを獲っています。
8人乗りのウミヤックを漕ぐクルーとして毎年90日、なんと20年ここに戻って暮し、消えゆく伝統漁をエスキモー家族の一員として経験しています。講座ではクジラ獲りの話が披露されます。

鈴木克章さんが漕ぐシーカヤックは極北の地で生まれたもの、ウミヤックは木製の骨組みを海獣の皮を張ったもの、音もせず海そのものの自然の音となってクジラを待ち、近づき古き捕鯨法でクジラを獲る様子、そして今や船外機が導入された今を伝えてくれます。
高沢さんは手漕ぎウミヤックの時代の最後に「間に合い」体験する数少ない日本人のひとりであり生活者でもあるのです。

現地で行われるクジラまつりには写真のような正装を着て参加します。
20年にわたり共に生活することで、高沢さんは現地に父・母・弟・妹と呼ぶ家族がおり、お母さんにこの晴れ着を作ってもらっています。
座長である洲澤さんの補足に寄れば、取材で行けば撮れないクジラ漁・解体などの写真を高沢さんは残している。
これもアラスカに戻るというほどの繋がりの中で可能となったことなのでしょう。
その写真で私たちは初めてクジラ漁を解体を、その部位の名を味の想像ができるのです。

私たちはクジラの分厚い皮の下の脂の匂いにまみれる想像をしながら、高沢さん手作りのウミヤックの模型を見るのです。

そして獲ったクジラの体から出てきたという真鍮のモリ先を廻し見ることができたのです。
打ち込まれたモリ先は深々とクジラに刺さり、その先端を骨に当てて曲がっています。
クジラに何艘もの手漕ぎカヤックで近づき、古い時代の道具で挑み食糧とするエスキモーの暮しを想像することができるのです。
講演後高沢さんと憧れのアラスカの話をした。
私もアラスカや極北の海に憧れ、かつてその地を訪れた開高健兄の著作「オーパ!オーパ アラスカ編」の話をした。
「日本で読めばあのすばらしい表現とスピード感でワクワクするアラスカ話も、現地にいけば当たり前の生活の一部なんだよ」
極北に自ら暮らせば、全ては暮しの中にあり驚くには当たらないのです。
そして、アラスカの海の豊かさを「クジラが棲むくらいに豊かなんだ」と教えてくれるのです。
高沢さんはエスキモーの日常を淡々と話し、聞く私たちはドキドキを続けている。
エスキモー村に母と妹を持ち、クジラ獲り漁師のクルーでもあり、そして「今年も行くでしょう」という高沢さんと知り合うことができました。
高沢進吾さんの活躍は
カイジュウノツカマエカタ
Arctic Town of Alaska
※取材協力:はまぞうメディアラボ 高沢進吾さん 海旅一座のみなさん
※鈴木克章「海旅一座」講演・トークショーの様子はこちらです。
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