2014年06月22日19:15

南浜名湖は海の産地、舞阪港は現在の場所になる前、しらす競り場の向かい側辺り、今の浜名漁協購買部のある一角にありました。
その当時の港の賑わいのお話、港で魚屋人生五十二年、大ベテランの丸小水産のばあばと漁協の職員さんが懐かしい話をしています。
ちょっと聞き耳を立ててみましょう。
数十年前、港が昔の場所にあった頃に舞阪はタチウオの一大水揚げ港でありました。
「今は遅くても3時(15時)頃に水揚げは終わっちゃうけど、昔は夜中までかかったものだよ」ばあばが話すのはタチウオの水揚げの頃、夏前のこの時期の話です。
「昔の港は狭くてね、タチウオがひと船でトン単位で水揚げされるから、とにかく運び出さないと次の船が降ろせないんだよ」
「とにかく運べ運べで体力が続く限り運んでいた覚えがあるよ」、職員さんがいいます。
当時は魚屋さんも4トントラックを数台持ち、運び専門に走らせていたといいます。
「タチウオの水揚げが終わり、運び出して仕事を終える頃には真夜中だったものさ」、当時の賑わいがわかります。

「運ぶ途中で伝票を書いていると、漁師さんからおんしゃ!何をさぼっているだ!」と怒られ、とにかく運ぶ専門になっていたよ
帰るのは真夜中、服はビショビショ、その服もタチウオで切れちゃうし(タチウオの牙は鋭いのです)、とにかく魚くさくて困ったもんだったよ。
昔話に職員さんも笑います。
どこの港も産地もそうでしょう。舞阪港の伝え話は多く、わずか20数年前の話を聞いても当時の賑わいを知ることができます。
「今年はね、割と獲れているんだよ」という舞阪のタチウオ、買っていただくことで港はまた賑わいます。
舞阪港伝え話、またどこかで聞き耳を立ててみましょう。
南浜名湖あそび隊!のまとめ読みは南浜名湖.comをご覧ください。
舞阪伝え聞き話 舞阪はタチウオの大産地≫
カテゴリー │お魚エッセイ

南浜名湖は海の産地、舞阪港は現在の場所になる前、しらす競り場の向かい側辺り、今の浜名漁協購買部のある一角にありました。
その当時の港の賑わいのお話、港で魚屋人生五十二年、大ベテランの丸小水産のばあばと漁協の職員さんが懐かしい話をしています。
ちょっと聞き耳を立ててみましょう。
数十年前、港が昔の場所にあった頃に舞阪はタチウオの一大水揚げ港でありました。
「今は遅くても3時(15時)頃に水揚げは終わっちゃうけど、昔は夜中までかかったものだよ」ばあばが話すのはタチウオの水揚げの頃、夏前のこの時期の話です。
「昔の港は狭くてね、タチウオがひと船でトン単位で水揚げされるから、とにかく運び出さないと次の船が降ろせないんだよ」
「とにかく運べ運べで体力が続く限り運んでいた覚えがあるよ」、職員さんがいいます。
当時は魚屋さんも4トントラックを数台持ち、運び専門に走らせていたといいます。
「タチウオの水揚げが終わり、運び出して仕事を終える頃には真夜中だったものさ」、当時の賑わいがわかります。

「運ぶ途中で伝票を書いていると、漁師さんからおんしゃ!何をさぼっているだ!」と怒られ、とにかく運ぶ専門になっていたよ
帰るのは真夜中、服はビショビショ、その服もタチウオで切れちゃうし(タチウオの牙は鋭いのです)、とにかく魚くさくて困ったもんだったよ。
昔話に職員さんも笑います。
どこの港も産地もそうでしょう。舞阪港の伝え話は多く、わずか20数年前の話を聞いても当時の賑わいを知ることができます。
「今年はね、割と獲れているんだよ」という舞阪のタチウオ、買っていただくことで港はまた賑わいます。
舞阪港伝え話、またどこかで聞き耳を立ててみましょう。
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