2013年07月07日17:57

昨日開催された「弁天島海開き花火大会」は、第50回の伝統を持ち、
また今回が最終回となった花火大会となりました。
主催する弁天島海開き花火大会実行委員会のプログラム冊子から
花火の歴史を一部抜粋して引用させていただきます。
「弁天島の花火大会は、明治40年ごろ弁天島の祭礼の余興として
はじまりました。戦後は昭和24年ごろから弁天神社の世話役が弁天
神社の前の海で、船台から金魚花火などをあげたりしてきました。」

「その後昭和28年に舞阪町観光協会が加わりり、南浜名湖の観光
拠点としてますます賑わいを見せてきました。昭和38年には、
この花火大会が中日新聞東海本社、舞阪町(現浜松市)、舞阪町観
光教会の共催となりますと、企画や規模のうえでも一層の充実をみせ
、浜名湖に夏を訪れを告げる花火大会」と言われるようになり、すっか
り定着してきました。

さらに平成12年には舞阪町商工会(現浜名商工会)も協賛団体に加
わっていただきまして、その後多くの皆様に支えられてきました。
※一部抜粋:弁天島海開き花火大会実行委員長 山本宏
プログラムの「ご挨拶」で歴史を伝え、終了のお礼を話した山本宏さ
んは舞阪町観光協会長として活躍、この6年花火大会をはじめ多くの
イベントや地域運営のリーダーとして活動されています。

花火大会のプログラムには、玉名、慶事内容、提供者名が掲載され
ています。その提供者名にはこの花火大会を支えてきた皆さんの名
がズラリと掲載されています。
花火も中盤の頃、三重芯引紅銀という花火がありました。
そこに花火を寄贈した「山本家兄弟一同」のメッセージがありました。
「長い間、観光協会長・花火大会実行委員長お疲れさまでした。100
年続く花火大会の重圧の中、6年も続けられた父親を誇りに思います」
父親とはもちろん、実行委員長の山本宏さんのこと、労い誇りに思う
と湛えた息子さんたちとは、浜名湖料理処として知られる、弁天島山本
亭の山本幸介さんと、弁天島太助の山本秀二さんのことです。

花火を見ているだけの私たちには、花火大会を続けてきたみなさんの
重圧を知ることができませんが、プログラムに支えた父を誇る息子さん
たちの言葉を見て、50回もの運営への労いと祝福を贈りたいと思います。
もうひとつプログラムによりすばらしいメッセージを見つけました。
フィナーレを迎え 町に感謝・心をこめて
「私どもは、長年にわたって携わってきた花火大会に感慨深い強い想い
があります。今年度で終了するということで寂しい気持ちはありますが、
舞阪町に感謝をこめ、フィナーレを飾り元役場職員の有志で花火を打ち
上げます」 元舞阪町悪罵職員一同
見ているだけの私たちには80分の花火大会に、さまざまな運営のご苦
労と支え続けた人の想いと誇りあり。
一夜明けた夏の日に、プログラムを引用させていただき、さまざまなご協
賛をされた皆さん、裏方の皆さんのご苦労に、一観客より祝福を贈りたい
と思います。
ありがとう 弁天島海開き花火大会≫
カテゴリー │弁天島海開き花火大会2013

昨日開催された「弁天島海開き花火大会」は、第50回の伝統を持ち、
また今回が最終回となった花火大会となりました。
主催する弁天島海開き花火大会実行委員会のプログラム冊子から
花火の歴史を一部抜粋して引用させていただきます。
「弁天島の花火大会は、明治40年ごろ弁天島の祭礼の余興として
はじまりました。戦後は昭和24年ごろから弁天神社の世話役が弁天
神社の前の海で、船台から金魚花火などをあげたりしてきました。」

「その後昭和28年に舞阪町観光協会が加わりり、南浜名湖の観光
拠点としてますます賑わいを見せてきました。昭和38年には、
この花火大会が中日新聞東海本社、舞阪町(現浜松市)、舞阪町観
光教会の共催となりますと、企画や規模のうえでも一層の充実をみせ
、浜名湖に夏を訪れを告げる花火大会」と言われるようになり、すっか
り定着してきました。

さらに平成12年には舞阪町商工会(現浜名商工会)も協賛団体に加
わっていただきまして、その後多くの皆様に支えられてきました。
※一部抜粋:弁天島海開き花火大会実行委員長 山本宏
プログラムの「ご挨拶」で歴史を伝え、終了のお礼を話した山本宏さ
んは舞阪町観光協会長として活躍、この6年花火大会をはじめ多くの
イベントや地域運営のリーダーとして活動されています。

花火大会のプログラムには、玉名、慶事内容、提供者名が掲載され
ています。その提供者名にはこの花火大会を支えてきた皆さんの名
がズラリと掲載されています。
花火も中盤の頃、三重芯引紅銀という花火がありました。
そこに花火を寄贈した「山本家兄弟一同」のメッセージがありました。
「長い間、観光協会長・花火大会実行委員長お疲れさまでした。100
年続く花火大会の重圧の中、6年も続けられた父親を誇りに思います」
父親とはもちろん、実行委員長の山本宏さんのこと、労い誇りに思う
と湛えた息子さんたちとは、浜名湖料理処として知られる、弁天島山本
亭の山本幸介さんと、弁天島太助の山本秀二さんのことです。

花火を見ているだけの私たちには、花火大会を続けてきたみなさんの
重圧を知ることができませんが、プログラムに支えた父を誇る息子さん
たちの言葉を見て、50回もの運営への労いと祝福を贈りたいと思います。
もうひとつプログラムによりすばらしいメッセージを見つけました。
フィナーレを迎え 町に感謝・心をこめて
「私どもは、長年にわたって携わってきた花火大会に感慨深い強い想い
があります。今年度で終了するということで寂しい気持ちはありますが、
舞阪町に感謝をこめ、フィナーレを飾り元役場職員の有志で花火を打ち
上げます」 元舞阪町悪罵職員一同
見ているだけの私たちには80分の花火大会に、さまざまな運営のご苦
労と支え続けた人の想いと誇りあり。
一夜明けた夏の日に、プログラムを引用させていただき、さまざまなご協
賛をされた皆さん、裏方の皆さんのご苦労に、一観客より祝福を贈りたい
と思います。