雄踏歴史家 嶋竹秋先生に聞く 

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雄踏歴史家 嶋竹秋先生に聞く 

南浜名湖 雄踏(ゆうとう)は神話の時代、ヤマトタケル(日本武尊)が
東征の折、ゆうゆうと踏んだ土地であることから雄踏となったと云われ
る古き土地、鎌倉時代から続く古民家中村家で、歴史家の嶋竹秋先
生にお話をうかがいました。

雄踏と言えば古き祭りが伝わるところ、まずは祭りについてお聞きしま
す。

「まずは平成19年7月7日の大御所四百年祭(静岡市)で雄踏浅羽町
の浅羽館車(かんしゃ)が里帰りしたことをお話しましょう」と嶋先生に
話しはじめていただきました。

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雄踏のいわゆる屋台は、山車とも呼ばず「館車(かんしゃ)」と呼びます。

「これは造りが江戸造りのもの、じつは浅羽館山は100年前に静岡市
七間町から譲りうけたもの、その館車が大御所四百年祭を機会に静岡
で引かれたのです。

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※嶋竹秋著「雄踏の祭り」

平成19年7月7日い開催された大御所四百年祭り浜松市西区雄踏町
浅羽館車里帰りは、顧問の嶋竹秋先生、中村守孝実行委員長により
雄踏町から200人が参加、静岡市の浅間神社で木遣りで迎えられての
里帰りとなりました。

江戸から静岡へ、雄踏へと繋がる江戸造り館車の文化は雄踏の人に
守られて今に続いています。

「古い文化を継いでゆくことは各時代の長が古きものを大切にして続
けてきたことなんだよ」と嶋先生はいう。

鎌倉時代から続く中村家は大御所(徳川家康)にもちなむ家、その上が
り框に腰をかけ、重要文化財を今も守り続けられている雄踏の気風や
心を知る。

この後、嶋先生に中村家を学ばせていただきました。



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