はるか昔の江戸時代、東海道を京に向かう三十番目の宿は
舞阪宿、旧東海道は今も舞阪の町を抜けて舞阪港に突き当
る。そこから海上一里を船で新居宿へ渡しておりました。
今は舞阪は弁天島を経て湖西市新居へと三本の橋を渡って
行くことができます。
JR弁天島から東へ向かう国道一号線はすぐに「弁天大橋」を
渡ります。
地元では浜名湖を渡る最も東のこの橋を「一番鉄橋」と呼んで
います。浜松側には旧舞阪町の庁舎(現在は舞阪行政センター)
と舞阪文化会館が並んでいます。
弁天大橋のすぐ南側に並び架かるのは赤い「弁天橋」、この橋
を東に渡れば舞阪、舞阪港に至ります。
弁天橋の舞阪側の橋詰にはかつてを偲ぶ常夜灯が設けられて
います。常夜灯の足下には京までの距離を掲げてあります。
弁天橋を渡りこの常夜灯の道を行けば、かつての渡船場跡「北
雁木(きたがんげ)」の石垣が舞阪衆によって残されています。
弁天大橋の北側にはJR東海道線、東海道新幹線の鉄橋があり、
鉄道で旅する人が一瞬に海を眺めるところとなっています。
弁天島の橋めぐりもいよいよ残り二橋、舞阪の町へと進んで行き
ます。
※写真・企画:
舞阪海幸彦さん