あるプロジェクトで浜名湖からはるか遠く広島の地にお住いの、
中村昭先生(広島大学名誉教授・理学博士)にご寄稿をお願いし
たご縁から、先生が南浜名湖雄踏のご出身と知ることとなりました。
南浜名湖あそび隊は、先生にここでもご寄稿をねだり、私たちの
ために「弁天島の想い出」の記をいただくことができました。
今晩から何篇かに分けてご紹介することといたします。
タイトルにつきましては不勉強ながら私どもでつけさせていただき
ました。
私の(雄踏町の)実家の隣は料理屋であった。夏になると遊船を
営業していた。
弁天島の二番目の橋の付近の桟橋から都会からのお客さんを
乗船させて、三番目の鉄橋の北側の浅い所に木の枠を組んで、
獲ったばかりの魚をそこで料理して供するのである。
私はこの遊船によく連れていってもらった。魚は鯔(いな、“ぼら”
の小さいやつ)であった。二艘の船で魚を追い上げ、最後に待ち
伏せた網に追い込み一網打尽に捕獲した魚である。
浅羽にはこの漁獲法をする組がいくつかあった。その名を“ねこ
んぞう”と言っていた。猫のように魚をとるのが上手だったからだ
ろう。
遊船は、食事を楽しんだ後は、舘山寺あたりまで浜名湖を回遊
する。この時の船は焼玉エンジンを使ったやや大型のもであった。
浜名湖と太平洋を結ぶ「今切れ」の辺りは波風も強いし潮の流れ
も早い。舞阪の港から外洋の出る漁船は勇ましかった。
この付近は綺麗な砂浜でおおわれている。舞阪灯台がこの近く
にある。松林に囲まれたこの白い灯台は昭和39年生まれで、昔
はなかった。
その由来を私は知らないが、「まいさか」という名はいい地名である。
このそばを通るバイパスが、「今切れ」の上を通っている。新幹線
からもこの素敵な橋が南に見える。
日本中の灯台巡りが趣味である私にとっては、ここは恰好の訪問
地である。この辺りは観光地となりうる十分な資格をもっているよう
に思える。
70年前の昔 誰がこのような風景を想像しただろうか?
南浜名湖も開発という時代の流れに抗しきれないであろうが、こん
な美しい浜名湖を調和のとれた姿として、何時までも保存しておき
たい。
(2012年5月3日 記)