※現在の雄踏港周辺
あるプロジェクトで浜名湖からはるか遠く広島の地にお住いの、
中村昭先生(広島大学名誉教授・理学博士)にご寄稿をお願いし
たご縁から、先生が南浜名湖雄踏のご出身と知ることとなりました。
南浜名湖あそび隊は、先生にここでもご寄稿をねだり、私たちの
ために「弁天島の想い出」の記をいただくことができました。
今晩から何篇かに分けてご紹介することといたします。
タイトルにつきましては不勉強ながら私どもでつけさせていただき
ました。
弁天島の思い出
私の父は町の小学校の先生を30年以上もつとめた人だった。
「先生」「先生」と近所の人達からよばれ尊敬されていた。
父は夏休みになると、私の兄弟と親戚の従兄弟達を弁天島に船
で連れて行ってくれた。船は、浅羽(雄踏町の字)の船着き場に係
留されている農業用の小舟で、近所から借りたものであった。
※一番鉄橋、東側に旧舞阪町舎(現地域行政センター)舞阪文化
会館が見える
弁天島近くなると、われわれは水に飛び込んで泳いだ。
水脈(みお)という大きな船の通路以外の所は浅くて流れもなく危
険は何もなかった。
一番鉄橋(東海道本線の一番東の鉄橋)の北に広がる「裏弁天」
の浅瀬に着くと、貝堀をした。昔は面白いほど沢山のアサリがと
れた。
お昼弁当は持参の梅干し入りの握り飯である。潮風に吹かれ美味
しかった。鉄橋を「特急つばめ」が走り抜けるのを見るのも楽しかった。
最後部の展望車も見られた。特急つばめは東京と大阪を8時間で
結ぶ当時の最新鋭の列車である。
午後はその橋の下をくぐって「表弁天」に出て水泳をした。表弁天の
水泳(水浴び)は、子供の私にはチョット危険なものだった。またそれ
が面白かった。
※二番鉄橋周辺
浅瀬と岸の間に水脈があり、それを泳ぎ切らないと浅瀬にたどり着
けない。ときどき急流にながされ危ない目にあった事も覚えている。
いまはどうなっていだろうか? 流れは昔と同じだろうか?
表弁天を存分に楽しんだ後、二番鉄橋の下をまわって帰った。これ
が、定番のコースであるが、ときに三番鉄橋(一番西の鉄橋)をまわ
る事もあった。この三番鉄橋の付近は流れも急でかなり深く、魚も大
きいのが釣れていた。
※三番鉄橋、左が現在、右は旧橋(歩行者用として利用)
夏休みのこの弁天島行きは、天気の悪い日を除いて殆ど毎日で、2
学期の始まる9月には私共は真っ黒になっていた。
昔は、弁天島駅は夏の海水浴の時期しか営業しなかったらしい。
父から聞いた事がある。
つづく