雄踏中村家の家訓 嶋竹秋先生に聞く

イチロー@南浜名湖.com編集長

2012年03月08日 14:15



浜松と浜名湖を結ぶ商業の道、雄踏(ゆうとう)街道は浜名湖に突き
当たり南に舞阪、北に舘山寺と道を分けるところに栄えた雄踏の町を
貫いています。

その南に鎌倉時代に溯る名家「中村家」の住宅と屋敷が今に残され
ています。その資料館の管理事務所で雄踏の歴史家「嶋竹秋」先生
にお話を伺います。

「中村家には周りに家を建てさせることなかれという家訓があってね」
今に残る古民家中村家は、広い敷地を持ち、屋敷門のある塀に囲まあ
れています。

西側に屋敷林を持つのも長く継がれてきた中村家の各時代の当主
は「火事」に合わないことを家訓としてきたのです。



中村家はご存知のように徳川家康の次男として後に福井の藩祖となり
ました結城秀康を生母お万の方が生んだ生家、中村家は平成12年に
雄踏町に屋敷を寄付するまで、家訓にこの家を残すことを伝えてきた
のです。

雄踏町は三年間に2.2億円をかけた解体修理を行い、平成十六年の
浜名湖花博覧会に合せて公開を始めています。

「代々の当主の努力もありますが、寄付を受け入れて今に残した当時
の行政の判断と地域の努力と歴史を残す心がこの家を守ったのです」

「徳川家康ブームもありますが、広く全国から訪れる歴史ファンにこの
見事な雄踏の宝をご覧いただきたいと思います。
嶋先生は、月に何度か中村家のご案内もされています。



嶋先生のご厚意で氏子総代をお勤めの「息(おき)神社」の田遊祭も続
いて取材させていただきましたが、中村家と息神社は天神社をはさんで
並んでいます。

嶋先生のお話で雄踏の歴史への興味が次々と繋がっていきます。

「五月には徳川家康に関するお屋敷めぐりが計画されています。中村
家、東区の鈴木家、竹山家、天竜区の田代家を巡ります」

残念ながら雨の日の訪問となり、中村家の写真は断念しましたが、次
回にも是非と嶋先生にお話したのは、お話を伺いながら学びたかった
から。

歴史とは本で学ぶより研究する先達に師事いただいて興味を広げて
いただくべし。

多くをお話いただきながら、わずか三回の記事となってしまったことを
恥ながら、再会をお願いした雄踏中村家への歴史の旅でした。

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