雄踏を聴き学ぶ 嶋竹秋先生と中村家

イチロー@南浜名湖.com編集長

2012年03月06日 14:15



「南浜名湖」と名乗りながら本拠地弁天島・舞阪を中心にしてきた
反省もこめ、初代弁天小僧と共に北隣の雄踏町を学ぶ小さな旅を
続けています。

雄踏は旧き商業の街道町として発展してきましたが、その歴史は
さらに古いもの、重要文化財に指定されている雄踏の古民家「中村
家」で歴史家の嶋竹秋先生に教えをいただきました。

中村家は徳川家康の次男結城信康(幼名於義丸)が生まれた家、
広い土間の下男部屋に飾られた絆纏が目にはいります。

雄踏と舞阪をつなぐ歴史を持つこの絆纏の背には「鼈(すっぽん)」
が大紋とされ、腰柄が亀の甲繋ぎが灰っています。

これは今も栄える日本一のスッポンの養殖場、服部・中村養鼈場
(はっとり・なかむらようべつじょう)の中村とは、明治36年に服部倉
次郎と中村家30代当主中村正輔が創立したものと聴くのです。



郷土史を学ぶには書物の学びもありますが、先達の話を聴き、興味
を広げさせていただくその声で学べばまた興味が広がるのです。

もったいないほどの嶋先生の話を伺いながら中村家を学べば下調べ
の知識より実物を前での教えの楽しさを知るのです。



「ここを見てごらんなさい」

嶋先生が指さす窓は不思議な構造をしていると言う。
この窓は格子の内側に障子があり、さらに一番室内側に雨戸がある
のです。

広い屋敷が今に残る不思議には中村家の旧き家訓があると言います。
中村家の広い庭には於義丸の胞衣塚などもありますが、まずは嶋先生
に広げていただいた興味が広がってゆく。

「地元の人はあまり訪れませんが、日本各地からここを訪ねる人が増
えています」という先生、中村家は一度訪ねるだけでは興味を満たせな
い。嶋先生の話は広がってゆくのです。

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