奈良時代の浜名湖

イチロー@南浜名湖.com編集長

2011年05月01日 11:18



弁天島遊船組合のみなさまのご厚意でお借りした舞阪町史や
舞阪町大太鼓祭りの写真集を読んで、南浜名湖あそび隊!は
浜名湖の歴史を学んでいます。

前回 にゃんこ隊 のdannyと一緒に訪問した舞阪郷土資料館
(舞阪図書館併設)で見つけた面白い絵図を紹介いたします。

奈良時代の郡・郷推定図を見てビックリ!

郷土史では知りながらも浜名湖はかつて独立した湖でした。
天災などで海側の土地が決壊して海につながったことを知っ
ていましたが絵図で見ればまた驚いてしまいます。



絵図は現在の湖内の海岸線も加えてありますが、村櫛のある
庄内半島は大きく浜名湖を塞ぎ、雄踏からの庄内湖は細長く
現在の弁天島へ伸びています。

もちろん今切口はなく現在の新居から川となって海につなが
っています。

絵図では弁天島あたりは「象島郷(きさじまごう)」と呼ば
れていたことがわかります。

浜名湖の歴史への興味の始まりはこんな絵図に興味を持つこ
とからでしょうか。

舞阪町史を読みながら古き時代に思いをはせてみたいと思い
ます。

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